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百魔の主/漫画版

創作研究室(カテゴリー別)
葵大和
ライトノベル作家
カドカワBOOKSから『百魔の主』というファンタジー戦記小説を刊行しています(既刊6冊)。またコミカライズ版が秋田書店のweb漫画サイト『マンガクロス』にて連載中です。執筆歴は15年。最近はブログ書いたりもしています。うんち。
出版作品(小説/カドカワBOOKS)

百魔の主/葵大和

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悪意のある感想や批判で小説を書けなくなったけど復活した話

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やあ、葵です。(@Aoi_Yamato_100

わたしは一度だけ小説を書くのをやめたことがあります

いわゆる「筆が折れた」状態ですね。

ちょうど小説を書きはじめて5年くらい経ったときのことです。

『小説家になろう』で投稿していて、一時期ものすごく読者さんに感想をもらったことがあります。

大半は『おもしろい』『もっと読みたい』と好意的な感想だったのですが、良い感想があれば悪い感想もあるのがこの界隈。

というか、100%肯定的な感想の作品なんてこの世の中のどこを探しても存在しないわけで。

で、わたしが悪い感想を受けまくった結果どうなったかというと――

書くのが怖くなりました。

この記事の著者について(葵大和)
葵です
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一度小説を書けなくなったことがあるけど復活した話【筆を折る】

前置きをしておきますが、必ずしもこれがすべての人に当てはまるとは言いません。

ただ、物書きをライフワークにするだとか、作家業を生業(なりわい)として生きていくとか、そういう人生における大きな柱にしたいときは、それが本当に自分にとって好きなことかを知っておくのはとても重要だと思います。

案外、自分の『好き』って周りからの評価だとか、世間体だとか、そういう外因が影響しているものです。(特に日本に住んでるとそうなんじゃないかな)

でも、本当に好きじゃないことを『好き』と偽って生きていくのはすごく大変だし、下手すると無駄にもなります。

だから、本当に好きで、周りとか関係なく楽しいと思えることを見つけるのに、一度試練を経験してみるのもありだと私は思っています。

創作(小説を書く・読んでもらう)ということに関して

わたしの場合は、小説を書くということがライフワークです。

加えるなら、書いて、誰かに読んでもらうことがなによりも楽しいです。

もちろん楽しいことばかりではないけど、なにかつらいことがあってもそれも含めて「まあ良い経験だったかな」とあとから思える程度には楽しめてます。

ただ、最初に言ったとおり、わたしは一度小説を書きたくなくなったことがあります

作品に対する批評はありがたい

作品に対する批評はありがたいものです。

よりよいものを書きたいと思うなら、客観的な意見は必ず必要になると思います。

正直に話すと、批評されたその瞬間は「ムッ」とすることもあります。

でも、あとになってから、

  • 「ああ、そのとおりだわ」
  • 「批評の意味がわかった」

と思うことも多々あります。

創作って、自分で生み出したものは自分の子どもに等しいので、どんなに正当な批評であっても、最初から受け止められる人ってそう多くありません

最初から批評を真摯に受け止めて、「そのとおりです」と言える人はハイパー鋼のメンタルな人か、自分の書いた小説を自己と完全に切り離して考えられる人でしょう。(ビジネスと割り切って小説を書ける人はそうかもしれません)

ただ、わたしのように「自分が楽しむ」「自分が良いと思ったものを書く」と思っている人にとって、批評はだいたいつらいものです。

中には批評じゃなくただの批判もある

で。

批評は良いでしょう。

しかし中には単なる批判もあったりします。

一番ひどいものは作者に対する人格批判でしょうか。

作品とはまったく関係のない悪意の塊みたいな批判が結構あります。

わたしが筆を折ったのはそのあたりが原因でした。

一度筆を折ったけど戻ってきた

ただ、わたしの場合は最終的にまた書くことを再開しました。

明確なきっかけがあったわけではありませんが、自分の作品を「おもしろい」と言ってくれる人がいたことも大きいですし、なによりやっぱり小説を書くことが自分にとって楽しいことだったからだと思います。

で、一度筆を折ったあとは、なんとなく批判とかに強くなりました。

だからといって無敵ではないがな。

サンドバッグにしようと思ったのですが……

(なんておそろしいドラゴンだ……)

とはいえ、多かれ少なかれ人気のある作品を書く人は同じ道をたどっていると思います。

だから、もし自分が「小説を書くこと」を生業にできるかどうかを知りたければ、一度筆を折る経験自体はけっしてマイナスにはなりません。(何度も言うけどそうじゃない人もいるよ)

もし今小説を書いている人で、そういう批判に苦しんでいる人がいたら、悪意のある批判を受けないに越したことはないけど、文字通り良い経験にはなるよ、とほんのちょっとだけアドバイスしておきます。

そしていったん書けなくなること自体も、けっして焦ることではないと言っておきます。

まとめ:批評や批判は自分の「好き」を計るバロメータ

世間体を気にして「好き」だと思っているものは、重い批判を受けたとき結構簡単に崩れます

一方で、本当に好きだとしたら、一度心が折れても勝手に戻ってくるものだと思います。

もちろんそれが生死に関わるだとか、書くことを再開したら死ぬ呪いにかかっているだとか、そういうアレだったら当てはまりませんが、人からの批評や批判程度なら、自分の「好き」を計るバロメータになります。

心が折れちゃダメ、筆が折れちゃダメ、なんてことはありません。

折らないに越したことはないけど、折れたら折れたで自分が本当に書くことが好きかを知る良い機会だと思うようにしてみてください。

それに、最近はいろいろな小説投稿サイトがあるので、名前を変えてまた一から別の場所で小説を書くのもありだと思います。

それでもダメだというときは、わたしは人の創作物を褒めることに関しては結構得意なので、言ってくれれば読んで褒めます。

1回100円でな!!

台無しだよッ!

わたしの経験の話でよければ、悪意のある批判を受けたときどうしたのかはお答えできるので、メッセージでもツイッターのDMとかでも構わないのでお知らせください。

参考:創作に携わる、すべての人にこれくらいのメンタリティでいてほしい

出版プロデューサーとして活躍しながら、自身もノンフィクションライターとして活動している遠山怜さん(@PagannPoetry)によるnoteのエッセイ『創作に携わる、すべての人にこれくらいのメンタリティでいてほしい』が、創作者としての心をとても楽にするメッセージにあふれています。

表現をする人の背中を支えてくれる良記事ですので、ぜひ読んでみてください。

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