小説の一人称視点と三人称視点はどっちのほうが書きやすい?
やあ、葵です。(@Aoi_Yamato_100)
小説を書くときに迷うのが一人称視点で書くのか三人称視点で書くのか。
人称に関する小説の作法とかを調べると、『視点のねじれ』や『視点移動は少なく』とか、いろいろ禁止事項っぽいものが出てきます。
正直、初心者の人はあまり気にする必要はないと思います。
人称は非常にデリケートな問題でもありまして、世間一般的に言われていることを忠実に遂行しようとするとめちゃくちゃ疲れます。
そして人称を気にするあまり物語を書くのがつらくなって、せっかく楽しく書いていたものが書けなくなってしまうこともあります。
どちらかと言うと人称を気にするのはちょっと書くことに手馴れてきた中級者あたりからで良い。
とはいえ、『せっかくなら今後のためにちょっとくらい意識しておきたい』という人がいると思うので、今回は一人称と三人称の書きやすさの違いについて説明します。
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小説を一人称で書くべきか三人称で書くべきかは描きたい物語の性質にも寄る
よく言われるのは、
- 主人公に感情移入して読むような物語の場合は一人称
- ストーリー全体を俯瞰で楽しむ場合は三人称
このあたりです。
実際この認識は間違っていないと思いますが、付け加えるならその物語の『楽しむポイント』がどこにあるかを意識してみると良いと思います。
主人公がいろいろな冒険をしたり、宝物を発見したり、なんらかの良い体験をしていく物語であれば一人称。
逆に、主人公が辛い思いをして、でも成長する物語だったり、人と人との関係性を描く物語の場合は三人称のほうが良いでしょう。
ですので、まずは自分がどんな物語を書きたいかを整理してみてください。
そのうえで今度は「書きやすさ」について説明します。
小説の一人称視点の書きやすさについて
一人称視点は難しい
最終的に、一人称視点はかなり難しくなります。
さっきも言った視点のねじれや、書いてはいけない情報など、気にしなければならないポイントがかなり多いです。
作者は作品の全体像を知っているので、つい書いてしまいがちですが、基本的に視点となっている主人公が知りえない情報は地の文に書けません。
特に、異世界ものを書くときは注意で、その世界の情報は別のキャラに喋らせるなどしてその都度主人公に理解させるきっかけを作る必要があります。
主人公を現地人にする場合は「そういう知識が常識としてある」というニュアンスで書くことができるので少し楽ですが、対立構造などで敵側の情勢を書きたい場合はやはり注意が必要になります。
小説を書いていると、「いかにして読者に状況を理解してもらうか」を考えることが多くなります。
この思考自体がとても重要です。
ですが、「読者にわかるようにするために描写したいこと」と、「一人称視点の制約」はたびたびぶつかります。
小説の三人称視点の書きやすさについて
三人称視点のほうが状況は書きやすい
一人称視点と比べて、三人称視点は世界観や状況(情勢)を書くのが楽です。
神の視点から「こういう状況である」と書いてしまえばいいからです。
しかし、三人称視点は感情移入させる力に関して一人称視点にやや劣ります。
- そのとき主人公がどう思ったのか
- なにを考えてどう感じたのか
こういう部分を俯瞰視点から描くため、他人事のように感じられることがあるからです。
また、主人公の感情や思考を書きすぎるあまり、説明くさくなってしまうことがある点にも注意が必要です。
ちなみに、三人称視点にもいくつか種類があるでの次に説明していきます。
完全な三人称視点=神の視点
「神の視点」と呼ばれる完全な三人称は、もっとも厳密な三人称視点からの描写です。
基本的になにを書いても問題がないですし、描写の自由度はもっとも高いでしょう。
しかし、その分、読者に感情移入を促したい場合に関しては強い制限を受けます。
上でも言った「他人事」感がもっとも強く出るからです。
実は三人称視点と一人称視点の良い所を掛け合わせた人称がある【三人称単元視点】
それが三人称単元視点と呼ばれるものです。
わたしが出版した『百魔の主』はこれに当たります。
三人称単元視点とは、基本的なスタンスは三人称だけど、あるキャラクターの背後から、そのキャラクターを通して情景描写をすること。
もっと簡単に言うと、『おれ』や『ぼく』『わたし』などの一人称単語を、『キャラの名前』『彼/彼女』などの三人称単語に置き換えて書くことです。
コツは三人称からの断定をうまく使うこと
- ○○はこう思った。
- ○○にとって、それはとても美しい光景だった。
完全な神の視点では、本来的にこういった描写はできません。
三人称視点はキャラクターの外側に視点があるため、厳密にはそのキャラクターの目に見えない感情は言葉にできないからです。
しかし、三人称単元視点であれば、神の視点にありつつ、背後からキャラクターの中を通って描写を行うため、こういった『~と感じた』『~と思った』という表現も使えます。
人称単語を使わない内的描写もかなり使える
あとは、なにかが起こったときに、人称単語を使わずにそのキャラクターの思考や感情を描くのもかなり使えます。
これは制限も少ないし、違和感も出づらいし、臨場感も出せるしでかなり便利です。
実際にどう使っているかを『百魔の主』を例にあげてみる
web版『百魔の主』を参考に、該当箇所に色を塗ってみてみます。
「ベナレスッ!!」
その女性は大きく息を切らしながら、必死の形相で駆け寄ってきていた。
――誰。
今、自分は彼女を『姉さん』と呼んだ。
頭では理解していない。
頭では思い出してなどいない。
なのに――「姉さん……だ……」
耳が、その声を覚えている。
目が、その姿を覚えている。
心が、その優しさを覚えていた。「あら、美人ね」
ベナレスはぎりぎりのところで意識を保ちながら、後ろでヴァネッサが楽しげな声をあげたのを聞いた。
好戦的な、嫌な声音だ。「ダメ、だ……!」
やらせてはならない。
ベナレスは立ち上がろうとした。
「覚えている」というのは本人の内的な感情描写です。
このシーンはほとんどがこのように一人称視点で進みつつ、最後に「ベナレスは立ち上がろうとした」というところで三人称的視点に戻ろうとしています。
もう一つ注目してもらいたいのは、この一文。
ベナレスはぎりぎりのところで意識を保ちながら、後ろでヴァネッサが楽しげな声をあげたのを聞いた。
この部分は、前の描写から『ベナレス』というキャラクターの内的描写が継続しているため、主語である『ベナレスは』という部分がなくなっても違和感がありません。
これが一人称視点であれば、「意識を保ちながら~聞いた」という部分は「~が聞こえた」というふうに変わるはずです。
それを、ほぼ一人称視点でありながら「~聞いた」というやや離れた場所からの描写が書けるのは、三人称単元視点の場合基本的な立ち位置が三人称の位置にあるからです。
小説の一人称視点と三人称視点の書きやすさのまとめ
総合すると、書きやすさとしては三人称視点に軍配があがります。
もちろんわたし個人の性質も関係はしていますが、
小説を一人称視点で書くのってめっちゃ難しい。
ですが、一人称視点は、小説というメディアが持つ特性(感情移入&疑似体験)を最も十分に生かせるポテンシャルを持っています。
もしそういった部分を存分に生かしたいという場合は一人称視点で書く練習をしてみると良いでしょう。
一方で、「世界そのものを書きたい」だったり、「いろんな人物が交わる群像劇を書きたい」という人は、三人称視点を活かすべきだと思います。
厳密には一人称視点でもそういう物語は書けますが、視点の切り替えがいやおうなく増えるので、難易度は爆上がりします。
それでも一人称視点の良いところを取り入れたい!
そんなふうに思ったら『三人称単元視点』を取り入れてみてください。
三人称単元視点はもっとも自由度が高く、一人称視点と三人称視点の良いとこどりができるので書きやすいと思います。
個人的にオススメです。