小説の感情移入にナショナリズムは活用できるか?
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やあ、葵です。(@Aoi_Yamato_100)
ナショナリズムって言葉、聞いたことありますか?
中学や高校の社会系授業で、一度や二度は聞いたことがあるんじゃないかなと思います。
辞書でその意味を調べてみると、
ナショナリズム:民族,国家に対する個人の世俗的忠誠心を内容とする感情もしくはイデオロギー。普通,民族主義と訳されるが,国民主義,国家主義あるいは国粋主義と訳されることもある。(出典:ブリタニカ国際大百科事典【コトバンク】)
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結局どういう意味かわからねえ!イデオロギーってなんだよ!

(厚顔無恥とはこのこと)
イデオロギー:政治や社会のあるべき姿についての理念の体系をイデオロギーと呼ぶ。しばしば人を魅了し、イデオロギーに帰依した人間は純粋でかたくなな行動をとることから、イデオロギーは宗教にたとえられる。(出典:知恵蔵【コトバンク】)
だからわからねえ!

日本語では一言で表せないものなんでしょうね。
ぽんこつめ!!
わたしはいまだにこれらの言葉の正確な概念についてはわからないのですが、なんとなく「こういうことなのかな……?」と思うところはあるので、以下わたしの認識でお話します。
読者の感情移入とナショナリズムの関係について

ナショナリズム(日本人):日本人であることに誇りを持っていること。
たとえばスポーツの国際試合を見るとき、「日本vs外国」の試合だったらとりあえず日本を応援しますよね?
応援するとまでいかなくても、日本が勝ってたらなんか良い気分になりません?
わたしはなります。
これが“ナショナリズム”です。
で、このナショナリズムは創作において読者の感情移入や共感を誘うヒントになります。
だって日本VS外国(異世界)だったら日本を応援したくなるでしょ?
主人公は日本人であるべき?
一人称視点の作品の場合は、日本人であるほうが多くの読者に受け入れられやすいと思います。
読者と同じ物の考え方、価値観、前にお話しした”現代人的感性”をその主人公が持っているなら、必ずそれは主人公への感情移入の助けになります。
一方で、完全に”ここではない別のどこか”のお話を作るなら、あまり関係はないでしょう。
でも日本人にゆかりのあるモノ(よくあるのだと”刀”とか)がひょんなことから現れると、なんとなくうれしくなりません?
そう、結局読者が”日本人”である以上、そういう見方はどうしても出て来てしまうんです。
日本人の本質
近年は「グローバル化(国際化)」という言葉をよく聞きますね。
でももともと日本人は、生粋のナショナリズムを持った民族です(あとドイツ)。皇族という制度が残っているあたりから察してください。
近年グローバル化が騒がれる一方、その反動のごとく日本のナショナリズム思想が強くなってきている気がします。
テレビとかでも”日本人のすごいところ”とか、”日本人のすばらしい技術”とかを前面に押し出した番組が多い。
なんでそういう番組が多いのか?
それはみんなが見るからです。(視聴率がとれる)
こういうところを見ると、今の日本人は無意識的にグローバル化への危機感を抱いているんだと思います。(マズローの欲求五段階説で言うところの”所属する欲求”⇒困ったときのWiki先生:自己実現理論)
日本人として生まれた以上、絶対にゆるがない”所属”が、グローバル化によって揺らぐのではないか。
自分はこの世界において、”日本”というちゃんとしたものに所属しているんだということを再確認したくて、日本を良いものと表現するものを見るんだと思います。
これ、読まれる作品づくりにも活かせそうですよね?
もちろん”ここではないどこかの物語”を読みたいという人も一定数います。
ですが、最近の売れ筋をみるに、そういう古典的なエピック・ファンタジーよりは、手軽に楽しめるファンタジー作品のほうが人気が出ます。
で、そういう手軽な楽しさの中には、意識しなくても読んでいる読者を気持ちよくさせる要素が入っているわけです。
主人公が日本人ではない作品もありますが、そういう作品でも”黒髪”だったり”刀”を使ったり、日本人である読者にとって”身近に感じる要素”が入っていたりします。(ちなみに主人公が刀を使う作品には人気作が多い、という情報もある)
“多くの人に読まれる作品が作りたい”という人は、こういう要素も使ってみるとおもしろいかもしれませんね。