繰り返し読まれる作品の特徴とは【ストレスとカタルシスの強弱】

やあ、(百魔の主を書いている)葵です。(@Aoi_Yamato_100

繰り返し読みたくなる作品ってありますよね。

私もたくさんの作品を読んでいる中、いくつか繰り返しよく読む作品があります。

ありがたいことにわたしが書いた「百魔の主」も、読者の方から「3周した!」というコメントをいただくことがあって、住んでいる地域を教えてくれればそちらに足を向けずに寝るので地方名だけでも教えてくださればさいわいです。

話がずれましたが、最近ふと「繰り返し読みたくなる作品ってなんだろう?」とない頭を使って考えたことがあったので、『ストレスとカタルシス』という観点から分析してみました。

結論から先に言うと、読んでもストレスがあまりかからない作品なのかな、と思います。

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繰り返し読まれやすい作品はストレスがあまりかからない

何度でもカタルシスを得られるから、という理由ももちろんあるでしょう。

ですが、カタルシスというのはストレスがかかってなんぼのものでもあります。

ストレス→解決(逆転)→カタルシス

近年はこのストレスに対する許容値がだいぶ下がってきていて、昔なら許容されていたストレス展開も、けっこう厳しく批判されるようになりました。

かくいうわたしも、連載という形で長いこと作品を公開している中で、

(たぶんこの展開は荒れるな……)

と、ある程度予想がつくくらいにはわかっているつもりです。

とはいえわたしの場合は、「それでもこのシーンはなくてはならないんだ……」と思いながらそのまま書くことが多いのですが、近頃の最強モノの隆盛をみると、そのあたりをしっかりと考慮して、かつ、とてもうまく展開を作っているなぁ、とも思います。

で。

最近は不甲斐ないながら、執筆以外の仕事が忙しくて、それこそ残業150時間という労基なにそれおいしいの?ストレスフルな期間を過ごしてきたわたしは、それでも無論、息を吸うようにマンガと小説を読んでいたのですが、そんな自分自身を振り返って思ったことがあります。

やばい、このストーリー展開は重くてこれ以上読みたくない……

そっとkindleのアプリを閉じ、目をつむる。

肉体も精神も疲労しているときに、いわゆる重厚な、ときにヘヴィな展開を含む(あるいはこれから来ると予想できてしまう)物語を読む気力がなくなってしまったのです。

おもしろければおもしろいほど逆につらい

作品がおもしろければのめり込みます。

キャラクターに感情移入したり、共感したりします。

これからどうなるのだろう。先が気になる。

けれどもあるときそこに「あっ、この展開は嫌な予感がする……」という転換点をみつけてしまって、読む手がグッと止まる。

これはテレビドラマとか映画、あるいはyoutubeなんかでも同じで、今でもときどき先を見ずにチャンネルを変えてしまいます。

こういう「嫌な予感」を覚えさせる作品は、おもしろさとしてはすばらしいものを持っていても、あまり繰り返し読まれるものではないのかな、と思いました。

その点わたしが繰り返し読んでいる『ハイキュー!!』を分析してみると、ところどころに小さなストレス展開こそあれど、基本的には主人公たちが成長し、勝利していく物語です。

あと、スポーツマンガなので人が死んだりしません。(テニヌ?知らない言葉ですね

テニスの王子様
(©テニスの王子様)

ドォォォン!!(ではない)

ちなみに『ハイキュー!!』に関しては、よく白鳥沢編から読みかえします。(たぶんその前にちょっとだけストレス展開があるからだと思います)

なんというか、『ハイキュー!!』は読み手の心に与えてくる影響のバランスが良いんです。

背筋がぞくりとするようなおそろしいまでのカタルシスがあるわけでもなくて、でもけっしてカタルシスがないわけでもなくて、適度な爽やかさと熱さの中に、たしかなおもしろさがある。

マンガで絵があって、最悪字を読まなくても動きだけで展開がわかる。

『ハイキュー!!』のコマ割りとか擬音文字の使い方、ここぞというときのカメラの使い方などは本当にすばらしいのでぜひ見てほしい。

ともあれそういう適度なバランス、読み手への負荷の低さが、繰り返し読まれる作品としての魅力に繋がっているのだと思います。

マンガより小説のほうが繰り返し読まれづらい

ストレスといっても物語に対するストレスと、「読む」ということにたいするストレスの二種類があります。

以前に「知ることで成長できる小説の弱みについて」という記事でも書いたとおり、基本的に小説はとっつきづらい媒体です。

文字を読むという作業は絵で表現が補完されるマンガ以上に読み手にストレスを与えます。

だからもし二つの条件に当てはまっている「百魔の主」を繰り返し読んでいる人がいたらそれは変態まちがえました神様「読む力を持っている人」だとわたしは勝手に思っています(本当にありがとう)。

落差のあるカタルシスよりも平易なカタルシス。

読むのに力を使う小説よりもマンガ。

統計なんて取ったこともないのであれですが、一番繰り返し読まれている作品はやっぱりマンガ作品なんじゃないかな、と思います。

だからこそ物語の間口は平易に

思いつきなので断言はしませんが、こういう背景が本当にあるとすれば、少なくともWeb小説のような比較的手軽に消費される形態の作品では、冒頭は平易あるいはコミカルにすらしておいたほうがいいのかもしれません。

最初から重い展開を見せつけてしまうと、そこで読者は離れてしまいます。

わたしが以前担当編集氏に別の作品を見せたときも、「冒頭が重すぎます」と言われました。(ついつい重く書いてしまうのはたぶんそれに頼ってるから。反省中です)

もちろん、それが自分の書きたい作品にどうしても必要だというなら書くべきだと思います。

しかし、より多くの人に、そして繰り返し読まれる作品を書きたいというのであれば、いまいちど自分の書いた作品の冒頭を読み返して、ほかの表現の仕方を模索してみるのもいいかもしれません。

まとめ

ここまでをまとめるとこんな感じ。

  1. ストレス展開は読者の負担になる
  2. 大きなカタルシスもそれは同じ
  3. 冒頭でそれを予感させない

このあたりを意識すると、ちょっと読む人が増えるかもしれません。

もし今自分の作品のアクセス数とかに悩んでいる方がいれば、参考にしてみてください。

ちなみにこれに類似する感じのことをかのジョジョの作者である荒木先生が著書で書いているので、気になる方はぜひご一読あれ。

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