『トールキン 旅のはじまり』(映画)の感想と評価【最高のファンタジー作家の原点】

J・R・R・トールキンというファンタジー作家を知っているでしょうか。

トールキンという名前を知らなくても『指輪物語』『ロードオブザリング』『ホビット』いうタイトルを聞けばわかる人がいると思います。

トールキンというのはその原作者です。

この『トールキン 旅のはじまり』という映画は、そのトールキンのまさしく伝記映画になります。

もはや神格化されているといってもいいトールキンと比べるのはおこがましいのですが、同じファンタジーを描く作家として、そしてひとりの指輪物語ファンとして、この映画にはとても考えさせられたし、なによりめちゃくちゃ感動しました

正直いろいろな思考や感情が湧きおこりすぎて、うまく言語化ができないのですが、できるかぎり自分の言葉にして残しておこうと思います。
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とある史上最高のファンタジー作家の原点【トールキン 旅のはじまり】

トールキンという一人の伝説的作家の人生

この映画は、トールキンの幼少期から青年期、そして第一次世界大戦を経て成年になり、『指輪物語』を生み出すまでの軌跡を描いています。

このすべての年代において、

  • 友情
  • 戦い
  • 冒険
  • 勇気

などの、指輪物語の作中に見える多くの感情の源泉になる経験をします。

指輪物語は仲間の物語

わたしは、指輪物語が「仲間」を描いた物語であると思っていました。

そしてそれが間違いではなく、しかしそこに込められたトールキンという作家の思いの強さには、この伝記映画を通して気づかされました。

早くに母を失くしたトールキンは、持ち前の聡明さでバーミンガムのキング・エドワード校に入学し、そこで一生涯の友人たちに出会います。

やがてオックスフォード大学に進学してからも、このエドワード校で出会った仲間と結成した秘密結社『T.C.B.C』の絆はずっと続きました。

T.C.B.Cは、『アートで世界を征服する』というテーマを掲げ、仲間内でさまざまな話をするサロンのようなものです。

しかし、やがて第一次世界大戦が勃発すると、トールキンは兵士として戦地に赴くことになります。

T.C.B.Cの仲間たちも同じく兵士となって戦場を駆け、そこで2人の友人が命を落としました。

青年期から固い絆で結ばれていた、血のつながらない兄弟ともいえる友人の死は、トールキンにどれほどの衝撃を与えたのか。

そしてトールキンは、その失ったものにどういう形を与えようとしたのか。

その結果が指輪物語の中には詰まっているように思います。

みずからの人生をファンタジーに落とし込んだ

そのほかにも、

  • 妻エディスとの出逢いと恋
  • 第一次世界大戦に兵士として参加し、死が充満する空間に身を置いた経験

トールキンという男がその身体と心で実際に経験してきたリアリティが、言語という出力装置と、ファンタジーという変換装置によって形になったものが、指輪物語です。

わたしは常日頃から「小説を書くのに特別な経験は必要ない」と言っています。

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しかし、みずからの経験は、それ自体がたしかなリアリティの糧になり、物語をより良く彩るための強い力になることも改めて再確認しました。

トールキンは、自分という一人の存在を細かな欠片にして、それを余すことなく指輪物語という小説に落とし込んだのです。

存在の証明であり、人生の証明

指輪物語は、『ロードオブザリング』という映画に出力されると、美麗な映像によってエンターテイメント性が高くなります。

これはロードオブザリングがエンターテイメントとして作られたからですが、しかし実際はもっと人肌に近く、むしろ生々しい一人の人間の人生の証明を刻まれた物語であると思います。

この、みずからの断片を作品に落とし込むという行為は、同じ作家として非常に共感が持てる部分でした。

人によっては『これはエンターテイメント』と割り切って作品を書ける人もいるでしょう。

実際、今のエンタメ小説ではそういったしっかりとした戦略のうえで書かれたものが売れるし、市場にも多く出回っている気がします。

それでも、一人の人間が描いた作品には、その人の趣味趣向が表れますし、なによりその人にとっての世界のリアリティが混じります。

かくいうわたしも、特にキャラクターにおいて、かなり自分の思考が反映されていると自負するところです。

それぞれキャラクターは別でも、すべてがなにかしらわたしの断片を担っているという確信があります。

商業作家としての苦悩(余談)

一時期わたしは小説をエンタメと割り切って書こうとした時期があります。

市場を観察し、人に求められるものを割り切って書こうとしました。

しかし、実際それはとても難しいことで、なにより書いていて違和感を覚えたのです。

だから、徐々に元の状態――つまるところ『自分を刻んだ物語』を書こうと方向を元に戻しました。

もちろん市場を完全に無視するわけではなくて、軸をどちらに置くかということ。

そうやって何年か過ごした今、この『トールキン 旅のはじまり』という映画を見て、

ああ、やっぱりこれで間違いなかった。

そう強く思ったのです。

それはトールキンにしか書けない物語だった

指輪物語が、トールキンという男にしか書けない物語であることを、この伝記を見て強く確信しました。

そしてそうやって生み出された物語が、こうして伝説的作品として世に残っていることに、安堵と高揚を覚えました。

もちろん、わたしを含め現代の一般人は、トールキンのような聡明な頭脳や卓越した言語への憧憬と知識、そして実際にその身で戦争を体験するといったすさまじい経験はしません。

けれども、現代には現代で、今を生きる人にしかわからないリアリティがあります。

それは人との関係性でもあり、文化や文明の違いでもある。

だから逆にいえば、トールキンには今のファンタジー作家が書くような作品は生み出せないだろうし、そうであるべきだと思います。

トールキンには、自分の存在を文字という媒体で外に出したいという願望があった

言語への憧憬に関しては、なかなかこのトールキンのレベルにいる人はいないでしょう。

単語や文法から言語を創作するってわりと振りきれてると思う。

しかし、自分という存在を、物語という媒体を通して刻みたいという欲求は、少なからず誰にでもあるようにも思います。

このアウトプットへの欲求こそが、小説――しいては物語への憧憬なのだと思いました。

映画の技法的な内容に関していうと

海外の映画評論サイトでは、作中での戦火の様子をCGを使ってドラゴンの噴く炎にたとえたりすることに関して、やや否定的な意見が多いです。

しかし、実際に観てみて、わたしは「これはあったほうがいい」と思いました。

どういった経験が指輪物語の中に落とし込まれ、それがなにを示唆していたのか。

そういったものが非常にわかりやすく捉えられるのです。

むしろわたしはこの表現形態に、この映画を作った監督のトールキンへの愛を感じました。

20世紀初頭のヨーロッパの街並みが幻想的

そこはファンタジー世界ではないのに、いわゆるハリーポッターを見たときに感じるような、ここではないどこかを感じさせるさまざまな景色や建造物が、本作の中にはたくさん詰め込まれています。

長い目で見れば、2000年のうちのたった100年程度の時代の違いなのですが、すでにそこは今のわたしにとってファンタジーに近い風景でした。

こうした、20世紀初頭の空気感みたいなものを味わえるというだけでも一見の価値があります。

これ自体は伝記映画だけれども、さすがはトールキンを映した映画だと思いました。

まとめ

ロードオブザリングが日本で公開されたのが2002年の3月なので、あれからもう17年が経ったことになります。

その間に『ホビット』というロードオブザリングの前日譚の映画が公開され、これまた大変な人気を博しました。

実はまだ『決戦のゆくえ』だけ見てないからこれを機に全部見返そうと思う。

この『トールキン旅のはじまり』を見て、改めて指輪物語やロードオブザリングを見返したい欲求がふつふつとわいてきた次第です。

基本的に作品と作者は切り離されて見られるもので、実際にそうあったほうがなにかと作品を楽しむうえでは良いことが多いです。

とはいえ、その作品が本当に好きだと、「これを書いた人はどんな人なんだろう?」とわたしはよく気になります。

で、その作者について知ってから作品を見ると、また新しい発見があったりして、とてもおもしろいです。

今回はまさしくそんな感じで、改めて指輪物語という作品を楽しみたいという気分になりました。

作家としても、ファンタジーファンとしても、本当にいろいろな意味で楽しめた作品なので、機会があればぜひ観てみてください。

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