『ザ・ファブル』の面白さをキャラクター造形と設定から分析してみた
やあ、葵です。(@Aoi_Yamato_100)
『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』の映画第二作目が公開されて間もないですが、今回はその原作マンガに当たる『ザ・ファブル』の面白さを作品の設定方面から分析してみたいと思います。
というのも、歴戦の漫画化である南勝久先生の描く物語のストーリー性が高いのは当然のことながら、ザ・ファブルの最大の魅力はそのキャラクター造形(設定)にあると思ったからです。
映画から入った人も間違いなく楽しめる原作マンガなので、気になる方はチェックしてみてください。
タップできる目次
『ザ・ファブル』の面白さの秘訣はその設定にある
おすすめ度
(最高に良い!)
『ザ・ファブル』のあらすじを簡単に説明すると以下のようになります。
ザ・ファブルのあらすじ
現代の東京。その伝説的な強さのため、裏社会の人間から「寓話」という意味を持つ「ファブル」と呼ばれる1人の殺し屋がいた。その男は幼いころから「ボス」の指導を受け、数々の標的を仕留めてきた。しかし、彼の正体が暴かれるのを恐れたボスは「1年間大阪に移住し、その間は誰も殺さず一般人として平和に暮らせ」と指示する。こうして彼は「佐藤明」という名前を与えられ、ボスと古くから付き合いのある暴力団「真黒組」の庇護の元、一般人として大阪での生活を始めるのだった。
簡単に言うと、正体不明の最強の殺し屋として伝説になっていた主人公が、組織のボスから「誰も殺すな、平和に暮らせ」という命令を受け、一般社会に溶け込もうと奮闘する物語です。
この時点ですでにワクワクしてしまう設定の面白さがわかってもらえると思います。
そして実際にクッソ面白いです。
隠れた最強の殺し屋という主人公の造形
主人公の佐藤明(偽名)は、裏社会において伝説と化している最強の殺し屋です。
本作ではその佐藤が殺し屋としての一般社会とはズレた感性を持ちながら、(ある意味)必死に日常生活に溶け込もうとします。
しかし、節々で現れる超絶的な強さや、それゆえに起こってしまう数々の事件に、佐藤は次々に対応していくことになります。
力を隠して日常生活に溶け込もうとするさまはどこか滑稽ですが、当の佐藤は真面目そのもの。
一方で、そんな佐藤をなめてかかった登場人物たちはたいてい痛い目を見ます。
爪を隠していた能ある鷹が、その力を発揮したときの爽快感と優越感
こういった『実は有能』であるキャラクターが隠された力を発揮するという展開は、エンターテインメントにおける王道中の王道です。
たいていの場合、爪を隠している主人公へ他キャラクターがちょっかいを出しにいき、期待通り撃退されるさまは妙に爽快感があります。
ザ・ファブルにおいてはそんな王道設定をいかんなく発揮しつつ、そのうえでうまいと思ったのが爽快感を得るまでの過程における読者のストレスコントロールです。
舐められすぎない、読む者にストレスを感じさせない
主人公が力を隠しているタイプの物語には、諸刃の剣的な側面があります。
それが、力を隠している間の主人公が舐められすぎて読者が耐えられなくなる場合です。
- そんなやつ早くやっちまえよ!
- もどかしい!
あまりにも主人公が他キャラクターになめられすぎて、かえって主人公に感情移入or共感している読者がストレスを感じてしまう場合があります。
しかし、ザ・ファブルにおいてはそのストレスコントロールが絶妙で、読んでいてまったくイライラしません。
舐められすぎない&ただものではないことを周りが察している描写
このストレスコントロールに役立っているのが、主人公をなめる人物もいるが、それ以上に主人公に対して『ただものではなさそうだ……』と勘づいているキャラクターの描写があることです。
この描写が入ることで、主人公に感情移入している読者の優越感や自尊心が一定の高さで保持されます。
ゆえに、多少主人公をなめる人物が出てきたところで、さしてストレスを感じることがありません。
この、読む側に優越感を抱かせ続ける構造がザ・ファブルにはあります。
魅せ方がうまいともいう!
主人公である佐藤明の天然なまっすぐさが一助に
こういった絶妙なストレスコントロールを支えている要因の一つには、主人公である佐藤明の天然な性格もあるでしょう。
佐藤明は、こと、『殺し』に関しては卓越した才能と実力を持っていますが、その反動とも取れるように一般通念(常識)に欠けたところがあります。
しかし、本人はそれをあまり自覚しておらず、そのうえで『一生懸命に』『くそまじめに』一般社会に溶け込もうと奮闘します。
この佐藤の天然さはなんだか毒気を抜かれるようで、「まあ、佐藤ならしかたないな」という諦念にも似た感情を読む側に抱かせます。
この諦念は非常に大事で、佐藤明というキャラクター設定の秀逸さがうかがえます。また、一貫してそこにブレがなく、読者の中でストレス展開に対する一種の耐性ができているのです。
「佐藤ならそうだろう、でも大丈夫、佐藤はやるときはやるし、いざとなったら最強の殺し屋である」
物語の序盤においてそういう構造を見せて読者を安心させた時点で、もはや怖いものはありません。
なんだかんだいって主人公が情に厚い
これは他の分析記事でもよく触れていますが、なんだかんだいって主人公が正しく情を持っているのは重要です。
佐藤は最強の殺し屋ではありますが、けっして快楽殺人者というわけではなく、職業としての殺し屋に徹底して生きてきました。
無論、行為そのものは同一ではありますが、仕事以外では無駄な殺しを行わず、また、仕事に個人的な感情を持ち込まない徹底ぶりはまさにプロです。
一方で、ひとたび仕事を離れた佐藤は、むしろ一般人以上に人情に厚い描写がなされます。描かれ方はさりげなく、いやらしくならない正義漢という感じです。
そんな佐藤がヒロインを救っていくさまは、ついつい応援したくなるものです。
まあ応援しなくても佐藤は勝つんだけどな!(超人)
主人公の性根が、我々読者の考える『人の正しき在り方』のイメージに合致していることは、実は主人公として非常に重要な素質だと思います。
そしていざというときには必ず勝利する、圧倒的に
そして大事なのが、どんな難局に立たされても最後には主人公である佐藤が必ず勝利することです。
しかも、圧倒的な強さで。
今まで佐藤をなめていた人物は見事に度肝を抜かれ、恐れおののき、畏怖を抱きます。
最高に爽快感が生まれる展開であり、カタルシスもひとしおです。
けっして佐藤は負けません。この、最後には必ず勝つという当たり前のストーリー展開を、違和感なく続けていることが、実は簡単そうに見えて驚異的なのです。
最後には必ず勝つ人物であることを『最強の殺し屋』という設定で最初に固定したのがポイントだと思います。
意外と勝ち続ける主人公というのは書きづらいし、ストーリーに起伏を持たせようとするとどうしても主人公が苦境に立たされる場面が出てしまいます。
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主人公は最強のまま、周りの人物でストーリーを転がす
これは私が作家だからこそ思うことですが、主人公が苦境に立たされない(もしくは本人的には苦境ではない認識)で、ストーリーに起伏を持たせられているのは本当に驚異的ですし、ストーリー構成や魅せ方の妙を感じます。
そのうまさの要因として考えられるのは、必要以上に主人公を描写せず、ストーリーを周りのキャラクターによって動かしていることでしょう。
『ザ・ファブル』では普通に暮らしたい佐藤を巡り、周りがどたばたと事件を起こしていきます。
そうした事件や問題の数々を、最終的に佐藤がやむを得ず解決していく、という展開です。
主人公の格を下げないまま、見事に物語を動かしていけるのは、そうした周囲のキャラクター造形の秀逸さが支えているのです。
まとめ:ザ・ファブルはめっちゃ面白い
最終的な結論としましては、『ザ・ファブル』がめっちゃ面白いということです。
すげえシンプルな答えに行き着いたな!
創作者なりに「ザ・ファブルはなぜこんなに面白いのか?」を設定やキャラクター造形からひも解いていきました。
これから自分で物語を描きたいと思っている人は参考にしてみてください。
また、『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』の実写映画についてもかなり原作に忠実に設定やストーリーを作っていて、そのうえ佐藤明を演じる岡田准一さんのアクションが最の高なので、ぜひ見てください。