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百魔の主/漫画版

創作研究室(カテゴリー別)
葵大和
ライトノベル作家
カドカワBOOKSから『百魔の主』というファンタジー戦記小説を刊行しています(既刊6冊)。またコミカライズ版が秋田書店のweb漫画サイト『マンガクロス』にて連載中です。執筆歴は15年。最近はブログ書いたりもしています。うんち。
出版作品(小説/カドカワBOOKS)

百魔の主/葵大和

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小説を書いて得られたこと、逆につらかったことってなに?

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やあ、葵です。(@Aoi_Yamato_100

  • 「小説を書く意味ってなに?」
  • 「それでお金がもらえるわけでもないのに意味なんてあるの?」

小説を書いていることを公言している人は、もしかしたらそんなことを言われたことがあるかもしれません。

わたしも最初は「変なこと言われたらやだな……」と黙っていた時期があります。

創作をしようと思わない人からすれば、「おめでたいやつ」や「こじらせてるやつ」に見えるかもしれません。

でもわたしは創作をすることを強くおすすめしています。

「創作に意味はあるし、たとえお金がもらえなくとも得られるものはある」

そう思っているからです。

なので、今回はわたしが「小説を書いてきたことで得られたもの」を少し赤裸々に書いてみようと思います。

あと、プラスの面だけ書くのも虫が良い気がするので、「小説を書いていてつらかったこと」も書きます。

創作することに意味がほしい人や、心ないことを言われたという人は、これを読んで前に進むパワーに変えてくれるとうれしいです。

この記事の著者について(葵大和)
葵です
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小説を書くことで得られたもの

本当にいろいろあります。

基本的にうれしいことばかりですが、もちろんまったく嫌なことがなかったわけではありません。

これは話すと長くなるんですが――もともとわたしは体を動かすのが好きでして。

中高、大学生時代までずっとサッカーをやっていました。

それ以外にもバスケに手を出したり、野球をやったり、まあ基本、スポーツが好きだったわけです。

そんなわたしは小学生の「将来の夢」の発表会で、

「将来はスポーツにかかわる仕事をしたいです」

そう答えていました。(スポーツ選手じゃないところがちょっとませてる)

ところが、大学生時代――

とある不治の病が見つかりまして。

「君、明日から走っちゃダメね。最悪死ぬからね」

そうお医者さんに言われたわけです。

っ!?!!!?!

あわせて「君よく今までサッカーなんてやってこれたね」とも言われました。

たしかに当時は夏場の練習でよく倒れたり、やたら身体がだるかったりして、いまとなっては「われながらよく生きてたな……」と思うわけですが、とにかく病気が発覚した当時はかなりショックでした。

バセドウ病という甲状腺系の自己免疫疾患です。(目が大きくなるので美人病とも呼ばれますが、わたしは外見的変化はありませんでした)

その当時から小説はちまちま書いていましたが、まさか自分が実際に作家になれるとは確信していませんでした。

病を宣告されたのがちょうど大学三年生のときで、「別にやりたい仕事はないんだけどなぁ……」と思いながらぼちぼち就職活動をしているところだったんです。

そこへ医者から「稼働不能」(この人は病気が良くなるまで働けません)の診断書まで出され、ザ・八方ふさがりになったと。

どうしよっかな……

もともとあまり就職活動に積極的ではなかったので、そのこと自体に落ち込みまくったというわけではありませんが、人よりハンデを多く背負ってしまったという意識はありました。

これがなければ過去のあれやこれやがもっとうまくいってたかもしれない、という後悔的なもののほうが大きかったかも。(思い返すと症状は中学生くらいからありました)

とはいえ、結果的に今はこうして普通に働いていますし(まあ今もいろいろあるけど)、読者のみなさんのおかげで作家としても少しずつ活動できるようになりましたが、思い返せばいろいろあって、そのときなによりも、

自分の作品とそれを読んでくれる読者のみんなに救われたなぁ……

と思いました。

それは君にしか書けない物語だ

変な話、いわゆる承認欲求がなければわざわざ自分の作品を公開したりしないと思うんですよ。

もちろんわたしにも「どうおもしろい?」「これわたしが書いたんだよ」という気持ちがありました。(今もある)

で、このあとにもいろいろあって「わたしは誰かを感動させるために生きている」なんて青臭いことを座右の銘にするわけですが、実際のところ、

  • 自分の作品が誰かにおもしろいと言ってもらえる
  • 自分の作品が誰かを楽しませることができる

というのは、生きるうえでとても大きな推進力になってくれるものだと思います。

  • この物語は自分にしか書けない
  • 続きや結末を知っているのは自分だけだ
  • 小説は体が衰えてもずっと書いていける

スポーツができなくなったあとは小説を書くほうに比重が傾いて、そのせいで逆につらくなった(後述)こともありますが、今となっては良い経験だったかな、と思います。

とにかく、小説にかぎらず、「自分でなにかを作る」という行為は、人生を歩むうえで大きな支えになってくれるものだとわたしは考えています。

小説を書いていてつらかったこと

とまあ、おおげさにわたしが小説を書くことで得たものについて話しましたが、もちろん小説を書くことでつらかったこともあります。

とうのも、「おもしろい」と言ってくれる人がいれば、その逆の人もいるわけです。

作品に対する批評であればそれはとてもありがたいことで、わたしもずいぶん前の作品でいただいた批評などはいまだに頭に残っていて、

ああそうだ、昔あんなこと言われたな、今回の内容は大丈夫かな。

と振り返ったりできるんですが、ネット小説のように完全に門戸が開け放たれているタイプの媒体では、作品の内容とか関係なく一方的な批判、すごいものだと人格批判までしてくる人もいるわけです。

人を攻撃したいだけの人格批判は無視したまえ! 心を! 守るんだよ!

人の多い開かれた場に作品をさらすのですから、無論それなりの代償はあるものだと覚悟していましたが、そう思っていてもこれがなかなかこたえる。(批判のほうが頭に残りやすいものです)

特に当時のわたしのように作品に対する比重が重くかかっている人だと、作品に対する正当な批評ですら「自分自身への批判」と捉えてしまいそうになるときもありました。

批判はつらいよね、当たり前さ

なにかを作る――特に小説を書くような人は基本的に感受性が豊かな人が多いです。

そんな人が人格批判なんてされれば、どれだけ「気にするな」と言われても傷つきます。

これはたぶん面と向かって誰かに言われるよりも、「目に見えないネット上の誰か」から言われるほうが効きます

目に見える個人であれば「あの人とは話さないようにしよう」など対処のしようがありますが、ネットからの目に見えない誰かからの批判は、まるで大衆そのものから批判されているような圧力があるんです。

実際にわたしもこれで筆を折りかけたことがありましたが、わたしの場合は自然とまた書いてました。

もちろんまだ人間はやめてないので今でもムっとすることはありますが、だいぶメンタルはタフになった気がします。(おかげでほかの仕事でもタフになった)

たまにネットの人気作などを見ているとこういった批判にあって筆を折ってしまう人がいて、そういうのを見るたびにわたしは、

  • (すごく気持ちわかるよぉ……!)
  • (書いてればきっと慣れるから、気が向いたらまた戻ってきてね……!)

と念を送っています。

まあ、ネット小説であればそもそも趣味の範疇を出ませんし、お金をもらっているわけでもないので「こうしなければならない」というルールはありませんから、個人の自由で好きなように書いていいと思います。(やめるも自由)

あ、でも「書籍化したい!」という人にはちょっと豆知識で、出版社はそういうメンタル面も見ています

「書き続けられる力」というのもビジネスパートナーにする以上は大切なことですからね。

だから、もし「作家になりたい」「出版社から本を出したい」と思っている人は、すぐでなくてもいいから、そういうものにちょっとずつ慣れるような訓練をするのもありかもしれません。

とりあえず時間を置く、というのが一番てっとりばやい対処法。

そういうわけで、まあ人生いろいろあるけど――

暇だったら、小説書こうぜ!

アオイ・ヤマート(1989~)

そんなお話でした。

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